悩む所違うぞーーー
もし、博士課程を卒業できなかったとしても、「卒業できないこと」を嘆くべきではないです。
そんなの大したことはないです。
嘆くべきなのは、「卒業できるだけの力がついていないこと」 です。

佐藤 雅昭
メディカルレビュー社
2016-07-08

佐藤 雅昭
メディカルレビュー社
2016-07-08




しっかり力をつけていないまま「運よく卒業」できてしまったら、それはそれで大変なことになります。
卒業後の研究生活で大変な目にあいます。
目先の利益(卒業)をとるのではなく、ちゃんと将来を考えましょう。
たとえば、本人は悪いと思っていないのに論文に不正に改ざんした画像をのっけてしまうなどです。 本当にあり得ることです。

今の例は、改ざんっていう素人でもわかるようなことかもしれませんが、ほかにも色々あります。研究のやり方で「教えてもらえないけど身につけなくてはいけないもの」はたくさんあります。

その一つが指導という場面で出てきます。博士課程を出たら、基本的に指導もしなくてはいけないです。ですが、「運よく卒業」してしまった人に、そんな余裕はないです。あるわけないです。卒業後も自分に余裕のない研究を続けていきます。
そんな人がこれから何年も後輩を指導していったらどうなりますか?
日本は大変なことになりますよ。

話を戻して、、
「運よく卒業」してしまうことは負の成功体験になります。その後に悪いことが起きることを意味します。
普通、人は何か困難にぶつかった時には、自然と、似た過去の経験を探して「うまくいかない・・・。てか、なんで前はうまくいったんだっけ?」って考えます。

そして、「あ、そうだった!」と過去(自分のだけでなく他人の過去も使う)からヒントを得て、困難を解決していきます。

しかし、負の成功体験をもってしまっていると、これができないのです。
場合によっては、 負の成功体験によって、大変な失敗をさらに引き起こしてしまうかもしれません。

だから、「卒業できてしまう」というのは、ある意味怖いことでもあります。
あなたは、本当に正の成功体験をもっていますか? 

もし、このような本質がわかっているなら、「卒業できるかどうか」はあまり意味をもたないと思います。