これ言うと、また叩かれるんだろうなw

いや、「論理的」は絶対必要なタイミングがあります。ぼくは「論理的」を完全否定するつもりは一切ないです。

論理的な話し方の極意
齋藤 孝
宝島社
2017-06-23





「論理的」が必要なタイミングは、他人に情報を伝える時です。

それも、完全な他人ではなく、未来の自分にも伝える場合も同様です。

そもそも論理とは?
思考の妥当性が保証される法則や形式 ですよね。その妥当ってのは人間が判断するんだから、他人が妥当だと判断する確率が高いものが「論理的」ってことですね。

で、僕が今回、「「論理的」になって研究は進まなくなる」と言いたいのは、思考についてです。

人間は情報処理について、

事象→人間のセンサ(五感)→脳で処理(実は脳以外も処理してる説あるけど)→他人に伝える

っていう順番で情報を扱いますが、実は、論理が必要なのって最後の他人に伝えるっていうフェーズだけなんです。

逆に、脳で処理のところで使いすぎると、思考を妨げてしまうことがあります。
(ちなみに、ここでも完全につかってはいけないというわけではないですよ。)

アイデアがふと思いつくってことありますよね?しかもあとあと合っていることが確認できるというすごいアイデア。「アイデアにいたるまでを無意識のうちに思考した」っていうすごい現象。
これは思いついたっていうタイミングでは、「論理的」とは認められません。だって説明できないんだから。

ここで「説明できないアイデアはロジカルじゃない!ダメだ!」って切り捨ててしまうと思考は終わってしまいます。このタイミングが論理的だと研究が進まないときであります。

「論理的」な研究は良い研究であるが、それが良い進捗を生み出すとは限らないのですね。